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2025年2月1日土曜日

ペニャさんの経歴2 出身国での迫害


[Posted on 2020/4/18]

 

ペニャさんの経歴2 出身国での迫害

 ペニャさんはコックとして働くためだけに日本に移住したのではありません。恐るべき迫害から逃れてきたのです。彼は家族とともに、出身国チリの悲劇的な歴史に巻き込まれ、離散を余儀なくされ、さらにはリンチを受けて危うく殺されかけました。つまり彼は難民なのです。

リンチを受けたペニャさん(本人作)
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1 背景・チリの軍事独裁と民主化

 1973年9月11日、ペニャさんが13歳のとき、チリで軍事クーデターが起こりました。チリ軍部は、選挙により成立した社会主義政権を暴力により覆し、左派の活動家や支持者を虐殺しました。クーデター米国の政府と多国籍企業に支援されており、軍部は政権につくと、米国の経済学者を顧問につけて財政削減・民営化・規制解除の新自由主義政策を推し進めたのです(それはむしろチリ経済を失業の拡大により破滅させたのですが)。

 1989年、チリ民衆の民主化要求の高まりを受け、1990年3月11日、民選のエイルウィンが大統領に就任し、軍事独裁は終わりました。その直後に設立された「真実和解国民委員会」(レティッグ委員会)は、軍政期における虐殺や人権侵害を調査し、翌年2月に報告書を提出しました。

 しかしその一方で、軍部はいまだに政治への影響力をかなり保っていました。そもそもエイルウィン大統領が、1973年には軍事クーデターの支持者であり、軍部に徹底的な対決姿勢をとることはありませんでした。それでも軍部は再三、真相究明を処罰に発展させないよう政権に脅しをかけたのです。こうして、民主化の後にも軍部の力は強大でした。


2 クーデターへの協力を強制されたペニャさんの父親

 1973年のクーデターで、ペニャさんの父親は軍部の左派狩りに協力させられました。民主化の後、父親は真相調査に協力します。しかしそのことで彼は、一方では左派に虐殺の協力者と見なされ、他方では軍部や右派に恨まれ、家族もろとも報復の対象にされてしまったのです。

 ペニャさんの父親は、軍など政府関係の建物のメンテナンスを担当する技師でした。クーデターが起きた日、一家の住居だった官営のアパートメントに軍人がやってきて、父親を連れ出しました。彼は仕事のため、官庁やアパートメントなどさまざまな建物に出入りしていたので、どこに左派がいるかを軍は彼から聞き出そうとしたのです。危険人物を別の場所に移すためだと、軍は彼に説明しました。

 命令を受けて、ペニャさんの父親はリストを作成しました。さらに軍は、身柄拘束された市民たちを収容したスタジアムに彼を連行し、彼に覆面をさせたうえで、リストに含まれる人物を指さして知らせるよう命じました。彼の協力により、軍は300人以上を特定しました。彼らは実際には、拷問され、殺され、死体を隠されたのです。そのことを軍は彼に決して知らせませんでした。その後、彼は多くの将軍たちから表彰を受けました。

軍部が収容所にしたスタジアム(N.Y. Times より)

 民主化の後、上記の真相究明の委員会が発足すると、ペニャさんの父親は自発的に、彼の協力による300人以上の行方不明者の件を、委員会に告白しました。すると彼は表向き退役ということで、軍から解任させられます。退職金などの恩恵も与えられませんでした。身の危険を感じて、一家は官営アパートから引っ越しましたが、しかし追跡と脅迫から逃れることはできませんでした。

犠牲者の選別に協力させられた父親(ペニャさん作)
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3 家族離散と迫害

 ペニャさん一家は、いっしょに暮らすのは危険だと判断し、別々に生きていくほうが安全だと判断して別れ、連絡もとらないようにしました。こうしてペニャさんの家族との生活は永遠に失われてしまったのです。後に父親は、孤独と恐怖のなかで認知症が進み、それで亡くなってしまいます。

 ところが父親と別れたにもかかわらず、ペニャさんは二度、誘拐されました。そのうち一度はリンチされ、死んでもおかしくないほど痛めつけられたのです。

 1992年、32歳になる年、ペニャさんはサンティアゴ市の国際料理コンテストで一位に選ばれ、金メダルを授与されます。そのことで、彼の勤め先が追跡者に発覚しました。

 ある夜、ペニャさんは仕事場のレストランを出ると、多数の男に囲まれました。おとなしくついて来なければ殺すと脅され、車に乗せられ、人里離れたところに連れていかれました。男たちはそこで彼を降ろすと、脅しと罵りの言葉を浴びせながら殴りはじめました。鎖や棒で痛めつけ、衣服をはがし、彼が倒れると石を投げつけながら殴る蹴るを続け、最後には小便をかけました。彼は血だらけで、全裸になったのに寒さをまったく感じなかったといいます。


迫害者に脅されるペニャさん(本人作)
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 男たちはペニャさんを放置して去りました。彼は時間をかけながら、どうにか民家にたどり着きます。住人は全裸で血だらけの彼を見て驚きましたが、彼は警察や救急車を呼ばないよう頼み、代わりに家族に電話をかけてもらいました。駆けつけた両親が、彼を病院に連れていきました。迫害者に見つかるのを恐れて、警察には強盗に襲われたと報告し、医師の診断書にはヘルニアの手術をしたと書かせました。

リンチされ捨て置かれたペニャさん(本人作)
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 これが原因で、ペニャさんはさまざまな後遺症に苦しめられています。まず左耳の聴力を失い、左目の視力も弱くなりました。しかもそのかわりにいつも耳鳴りがするようになり、そのせいで彼はつねにストレスを感じています。くわえて男たちは、おまえがコックなら料理できないようにしてやると言って、私の手を痛めつけました。そのせいで私の指は歪み、たまに鋭い痛みを発します。

 退院すると、ペニャさんはすぐにサンティアゴを離れました。その後、彼は欧州に渡り、そこで日本人に声をかけられて、1996年1月にペニャさんは日本に渡ります。それから2011年まで彼がコックとして問題なく暮らしてきたことは、先の記事で説明したとおりです。


おわりに

 ペニャさんは、チリの複雑な政治情勢に巻き込まれ、迫害の標的となり、実際に殺されかけました。いまもチリでは軍部が一定の力を保っており、ペニャさんの身の安全は保証されていません。くわえて、彼は高齢にさしかかりつつありますが、しかしチリには迎えてくれる家族すらいません。彼にとって帰国は、あらゆる意味で不可能な選択肢です。



2025年1月30日木曜日

作品 入管の中で年老いていくペニャさん

 

[Posted on 2020/4/9]

 

作品 入管の中で年老いていくペニャさん

2020年
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 檻に閉じ込められたペニャさんの自画像。
 若い頃の自画像と同じ姿だが、顔は年老いている。貼りつけらているのは、彼の日本での生活歴をものがたる、これまでの査証や許可証だ。

 在留を認められず、収容によって大切な時間を奪われつづけていることへの、深い嘆きが感じられる。

 ペニャさんは15年以上もコックとして働いてきた、私たちの社会の一員だ。しかし2011年、震災のせいで開業の計画が破たんし、代わりの就職先も見つからず、在留資格を更新できなかった。
 そのような事情も汲まず、彼の人権や、社会への貢献も無視して、入管は彼に送還の圧力をかけ続けている。二度目の収容(現在にいたる)のさいは、荷物をとりに自宅に戻ることすら許されず、すべての所持品を家主に強制処分されてしまった。

 真面目に働いて暮らしてきたペニャさんの努力を、彼の貴重な年月を、一時的な失業という、たったそれだけの理由で踏みにじる入管。
 こんなことが許されていいのか。



作品 収容所の窓でさえずる鳥

 

[Posted on 2020/4/4]

 

作品 収容所の窓でさえずる鳥

2019年8月

(クリックで拡大)


(鳥のさえずり)

私のためにお誕生日の 歌を歌ってんの?

(鳥のさえずり)

でも…私のアドバイスは…

この場所から 急いで帰りなさい、
もし捕まえたら〔捕まったら〕、
また君の自由を 取り戻すために、
とても長期な 時間を 取られるんだ!!!

(鳥のさえずり)

ハハハハハ ありがとう!!!


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ペニャさんは8月、収容所の中で誕生日を迎えた。
入管収容施設で年を重ねるのは、これが何度目か。
彼の自由への切望と、奪われた時間を悔やむ悲痛な気持ちとが伝わる作品。



作品 自然

 

[Posted on 2020/4/12]


作品 自然の風景



朝焼けに飛び立つ水鳥 2020年
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芽ばえ 2019年12月
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鹿 2018年8月
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 ペニャさんの作品には、入管収容にかんするメッセージのほかに、自然の絵が多い。年月を追うごとに、変化への期待や自由への切望を感じさせる絵が増えていくことに気づかされる。



2020年9月16日水曜日

【寄附のお願い】ペニャさん支援キャンペーン(第3次)


第3次ペニャさん支援キャンペーン呼びかけ

難民認定・在留許可手続および医療のための寄附を!


 8月末までのクラウディオ・ペニャさん支援キャンペーンでは、約220,000円のご支援をいただきました。皆さま、まことにありがとうございます。

 しかし残念ながら、ペニャさんの法的手続と医療に当面必要な額をカバーすることはできませんでした。

 くわえて、ペニャさんの25年以上続く耳鳴りについて、左耳の内部の骨が折れているせいであることが、7月から8月の通院と検査により判明しました。彼がサンティアゴで受けた集団暴行によるもの出身国での迫害にかんする記事参照)と見られます。この検査のために、予想外に多くの出費を強いられた、という事情もあります。


(迫害と暴力の苦しい思い出 25年以上後に骨折が発覚)

 こうした理由で、このたび、第3次のペニャさん支援キャンペーンを呼びかけることにいたしました。ご寄附は、ひきつづき、ペニャさんの難民認定・在留許可手続および医療のために役立てます。目標額は30万円です。


ペニャさん支援キャンペーン(第3次

難民認定・在留許可手続および医療のための寄附

 募集期間 2020年9月14日~10月31日(終了)


(ペニャさん最近の作品)

 

これまでのご寄附の用途

 みなさんに頂いたご寄附のおかげで、次の費用の一部を補填することができました。代理人弁護士との契約のための着手金。左耳内部の骨折の検査および診断書取得費用。視力低下に対応するための眼鏡の購入費用。歯科医通院費用。まことにありがとうございます。

 

ペニャさんの近況

 本年5月末の仮放免以降、ペニャさんは、日本での難民認定または在留許可をかちとるために、代理人の駒井知会弁護士との打合せや、迫害の証拠など文書資料の収集を進めています。くわえて、耳、目、歯の治療のための通院、支援者との協働、入管収容者との面会、メディア取材への対応など、活発に過ごしています。

 仮放免の境遇で、就労が認められないなか、仕事以外で自分のために自分の力でできることは何でもやろうと、ペニャさんは奮闘しています。そんなペニャさんのために、ひきつづきご支援のほど、なにとぞよろしくお願いいたします。


2020年9月16日

柏崎 正憲(SYI 収容者友人有志一同

Phone 080 8844 7318

E-mail 




Call for DONATION: The Third Campaign for Claudio Peña's Right to Stay

 

The Third Campaign for Claudio Peña's Right to Stay

Donate for Legal and Medical Aid!


Thank you so much for your providing support for Claudio Peña in the previous campaign which amounts to 220,000 JPY.

However, I could not cover the amount he needs so far for legal and medical matters.

In addition, it recently turned out that the bone of Peña's left ear is broken. This is probably the cause of the noise he has suffered from since he was attacked by an unidentified group in Chile, his country of origin. It took an unexpectedly high cost for the examination of his ear.


(Peña's drawing of his painful memory of violence)


Therefore, I call for the Campaign for Claudio Peña once again (target amount 300,000 JPY). Your donation will directly support Peña in his asylum process and medical matters.


The Third Campaign for Claudio Peña's Right to Stay

Donation for Legal and Medical Aid

Period: June 26 - August 31, 2020.

Donation to:  Yucho-Ginko (JP Bank), No. 00180-2-338249 (M. Kashiwazaki).

* For the remittance from other banks: Yucho-Ginko (JP Bank), Zero-ichi-kyu (019) Branch, Toza (checking account), No. 0338249.

 

(Peña's recent work)

 

Thanks to your support, the following costs for Claudio Peña have been covered partly until now. The contract with an attorney, the examination of his left ear, his glasses, dentistry. Peña and I really appreciate for your support.

Since the release from immigration detention in the end of May, Claudio Peña has been so active. For the right to stay, he has had meetings with his attorney Ms. Chie Komai, as well as searching for the proofs or documents to be submitted for the examination of his asylum application. He has been busy also for medical cure of his ear, eyes, and teeth. He works with the supporters of immigrants and refugees, and seeing immigration detainees in order to provide support for them. Recently, he had media interviews.

Non-visa holders have no permission to work for earnings. However, Claudio Peña always makes as much effort as possible, trying whatever he can do for and by himself.

Peña and I would really appreciate for your continuous support.


September 16, 2020

Kashiwazaki, Masanori, SYI (Syuyosha Yujin-yushi Ichido: Immigration Detainees Friends), in Tokyo.

Phone 080 8844 7318

E-mail 




2020年9月13日日曜日

クリスマスリース

 クラウディオ・ペニャさん、最近の作品。








2020年6月13日土曜日

ペニャさんから感謝のメッセージ

 クラウディオ・ペニャさんから、ご支援をいただいた皆さんへの感謝のメッセージをお預かりしました。

 ようやくペニャさんは解放後の生活が落ち着き、新たな作品を描く余裕をもてました。今後もペニャさんは、医療、そして在留資格を求めるための活動を続けていきます。ひきつづきご支援をよろしくお願いいたします。

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私は違う人生を歩み始め、私の行く道に光が灯り始めたのを感じています。あなた方のサポートは私にとってとても大切なものでした。

どうもありがとうございます!

コロナ2年6月





2020年6月12日金曜日

Gratitude from (Agradecimiento de) Claudio Peña

Claudio Peña, our friend who was released from immigration detention center on 25 May 2020, has published a new artwork expressing gratitude to his supporters.

Claudio Peña, nuestro amigo que salió del centro de detención de inmigrantes el 25 de mayo de 2020, ha publicado una nueva obra de arte que expresa gratitud a sus seguidores.

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Mi vida ha tomado otro rumbo, veo cómo mi camino se comienza a iluminer.
Uds han sido un apoyo muy importante para mí. ¡Muchas gracias!

My life has take another direction, I can see how my path begins to light up.
You have all been a very important support for me. Thank you so much!

June 2020 (Corona 2)







2020年5月17日日曜日

「ここは収容所ではなく監獄」医療怠慢とコロナ感染リスク軽視の牛久入管

 ペニャさんはいま、東日本入管センター(牛久入管)で、持病、健康悪化、そして入管の医療怠慢を耐えながら、仮放免申請の結果を待っています。そんな彼からのメッセージが届きました。

 持病と健康悪化の苦しみ、コロナウイルスの感染リスクを軽視した入管の待遇への恐怖、そして外部交流の制限による苦しみがつづられています。

 牛久入管、吉村真弘所長は、すぐにペニャさんを仮放免せよ!

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This is not an Immigration Detention Center,
this is not a Refugee Camp,
this is a JAIL.

ここは入管収容施設でもなければ、
難民キャンプでもありません。
監獄です。




東日本入国管理センター
吉村真弘 所長

 1月28日に脚の痛みがあったため、入管内で医師に診察してもらいました(下腿静脈瘤及び膝に異常がありました)。医師はとても丁寧に診察してくれました。
 その日、部屋に戻ったところ、その日の担当職員(HC652)に、「思い違いをしている」と言われました。診察してくれた医師は消化器内科の専門だったからです。

 私は、整形外科の医師に診察してほしいと訴え続けました。
 2月19日になってようやく、整形外科の医師に診察してほしいとのアプリケーションを書くことができました。両膝の関節の激痛により、歩くこともままならなかったからです。時として私は痛みで体のコントロールも失われ、これまでに6回も倒れ、頭や両手を強打しました。
 3月になって、私は突然倒れ、数日間にわたり、肛門から出血しました。
 4月13日、私は入管内で医師の診察を受けましたが、医師は私を診察すると、外部の病院に行き、専門医に診察してもらうよう指示しました。
 4月24日、職員に連れられて、牛久市内のSクリニックへ行きました。その病院のS医師はとても親切で、私の持病を、とても心配してくれました。彼は私を診察し、薬を処方してくれました。そして、内視鏡検査のために、5月13日にもう一度来るよういわれました。

 私が整形外科の専門医に診察をしてほしいと申請してから、70日以上もかかりました。なぜ、入管は私の脚の病状が現実の問題であることを疑うのでしょうか。至急、治療を受けるため、専門医に診てもらなければならないのに、なぜ、それを疑うのでしょうか。
 また、なぜこの場所から出かけて、わざわざ、今もっとも危険な場所だといわれている「病院」に行かなければいけないのか、理解できません。

 また、いつものことではありますが、病院に私を連れて行く際に、20席以上あるミニバスを使っているにもかかわらず、3認の入管職員のうち必ず1人が、行きも帰りも私の隣に座るのも理解できません。私が手錠を掛けられているからですか? ソーシャル・ディスタンスは2メートル感覚をとらなくてはならないはずです!

 また、私のブロックの担当さんはこう言いました。「ペニャさん、私は外にいるとき、マスクをつけていません。マスクを使っても無駄、意味がないよ。使っても意味がないよ。」

 4月27日以降、私たち収容者への面会は許されず、ボランティアには10分の電話しか許可されなくなりました。
 今日、4月28日、初めての「電話面会」〔面会の代わりの官費による電話〕がありました … 担当さん(HC841)が同じ場所にいて、私が話した内容は全て聞かれてしまいます。

 ここは出入国管理センターではありません。
 ここは難民キャンプではありません。
 ここは刑務所です。


 クラウディオ・ペニャ(チリ)







2020年5月5日火曜日

ペニャさんより 感謝と自己紹介

ペニャさんより 感謝と自己紹介


 ご支援いただいている皆さまに、ペニャさんより、感謝の気持ちをこめた作品です。あわせて彼自身の筆による自己紹介状もお預かりしました(画像はクリックで拡大します。)。


各国語で「ありがとう」。




ぼくはチリのサンティアゴに生まれた。
チリの言葉はスペイン語です。
ぼくは子供(の頃)からサッカーやります...大好き!
ぼくは若いとき、スペイン、イタリアとアメリカで、クッキング専門学校で勉強した。
そのとき、バルセロナで武士の本を買った。
そのときから、ぼくの夢は「日本に行きたい」。




子供(の頃)から絵を描きます。
アートカリッジ(美術専門学校)行ったことない。
ぼくは描く、心から...頭から。
チリの食事で一番有名なのはエンパナーダ(ミートパイ)Empanada です。




2020年3月29日日曜日

作品 「懲罰房」の問題

作品 長期収容をやめろ(懲罰房の問題)

2019年5月

(翻訳)長期収容をやめろ

 あるトルコの若者は、サッカーでけがをして以来、房にこもって休んでいる。片足をけがしていて、彼はうまく歩けない。5月22日、その19歳になるクルド人の若者〔上記人物と同じ、トルコ国籍クルド人〕はおかしくなり、まさにヒステリーの発作のようになり、大声で叫び、泣きわめき、周りのものをなんでも壊そうとした。彼の仮放免申請が不許可になったと伝えられた後だった。若者は成田空港から連れてこられ、ここ〔東日本入管センター〕には6か月収容されている。

 20人以上の職員がやってきて、若者を房から出し、彼の体を持ち上げて運んでいった。職員たちは彼を強制的に懲罰房へ入れた。


Stop long-term detentions 

    A young turko [Turkish] boy was just resting in his cell since he had an accident playing football. He cannot walk very well, because he had a foot injured. On 5月22日 the kurdo [Kurdish] 19 years old boy [the same one, a Kurdish man from Turkey] become crazy, a real histeric attack, shouting, screaming, crying and trying to destroy everything around him, after to get a negative answer to his karihomen application. The young boy detained almost 6 months in here [East Japan Immigration Center] come from Narita Airport.

    More than 20 officers came to this block and took the boy out from the cell carrying him up with their hands; all the officers force, the boy out from the cell, they took him to oshobatsu [chobatsu].


(クリックで拡大)


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入管の「懲罰房」について

 東日本入管センター(牛久入管)はじめ、入管収容施設には、隔離房、いわゆる「懲罰房」が設けられている。入管の建前では、それは対象者を隔離するための部屋であって、罰や制裁を与えるためのものではない。

 だが実際の隔離室は、狭くて窓もなく、トイレとの仕切りもなく、24時間モニター監視で消灯もされない。そこに閉じ込められる人にたいして、相当な屈辱と苦痛を与える設計といえる。純粋に「隔離」だけが目的なのに、対象者の品位や尊厳をここまで否定する必要があるだろうか? 実際に現場の職員も、収容者にたいしてはしばしば懲罰房という語を使うという。

 だからペニャさん含め、この部屋を懲罰房と呼ぶ収容者たちは正しい。設計としても使われ方としても、それは事実上の懲罰房である。




2020年3月16日月曜日

作品 彼を解放しろ!

作品 彼を解放しろ!

2020年2月21日

ヤメロ 長期収容

彼を解放しろ!!

彼はまだ生きている!

【追記 本年3月24日、絵の人物デニズさんは仮放免され、収容所から出ました。】

(クリックで拡大)


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(以下 SYI 収容者友人有志一同ブログ 2020年3月6日 より転載)

 繰り返しの再収容に苦しめられ、2月に数度の自殺未遂をはかった、クルド人デニズさん。彼と同じく牛久入管に収容中のペニャさんによる、デニズさんを救ってほしいという切実な訴えを託した絵を、私たちはこのたび受け取りました。

 すでに二年半近く収容されているペニャさんは、デニズさんのことを彼自身のことのように感じています。彼らの悲痛な訴えを、一人でも多くの人に知ってもらえるよう、ペニャさんの絵とメッセージを公開します。


(ペニャさんのメッセージの翻訳)

 彼はエアコンの通風孔にシーツを挟むと、シーツが彼の首を絞めた。デニズさんはこの苛酷な経験のなか一命をとりとめた。

 職員たちは彼を懲罰房(a punishment cell)に放り込んだ…… なぜ彼を罰するのか? 自殺は日本で犯罪とされているわけではないのに。なぜ彼を精神科医に診せないのか? ここ〔牛久入管〕でこういうことが起こるのは初めてではない。きっとこれが終わりでもないだろう。

 彼のために祈りを!

 私たちのために祈りを!

 クラウディオ・ペニャ


デニズさんについて

 周知のとおり、長期収容に抗議してハンガーストライキを行い、何度も再収容されている方の一人で、二週間の超短期仮放免のあいだにも入管収容の問題を訴えつづけてきました。今回の自殺未遂について、ジャーナリスト樫田秀樹さんは次のように伝えています。

「書くかどうか迷ったが敢えて書く。牛久入管に延べ4年の長期収容をされているデニズさん(トルコ国籍クルド人)に2月27日に面会。無精髭だらけで気力がない。2月21から25日の5日間で6回も自殺未遂をしたそうだ。計画的自殺ではなく衝動的にやる。自分の行為に「またやってしまうのか」と震えていた。」(3月4日ツイッター

 3月5日には参院予算委で、石川大我議員がデニズさんの件を質問しています(同質問を含む仮のスクリプトが石川議員Facebookに掲載)。

【追記 3月24日、絵の人物デニズさんは仮放免され、収容所から出ました。】